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浄国寺 天理市(浄土宗)

上ツ道を天理から三輪明神へと歩いていると丹波市町の市場跡を過ぎて
左手に水路が現れた左角に本堂に鯱を飾った立派なお寺があります。以前から、
壮大さと本堂の横にある駕籠が気になっていたので、思い切って門を叩きました。
(本堂を絵堂と言ったのでこの角を辻絵堂と言われたそうです)

浄国寺06

ちょうどお昼を終えたところと言う住職が丁寧に案内して下さいました。
住職も平成になってからこちらに来たとのことでした。
ネットでもいろいろと調べたのですが、あまり詳しくは書かれていません。

浄国寺03

まず、気になった一つが本堂の瓦の三葉葵の紋です。
徳川家の菩提寺が浄土宗で、許されたお寺だけがこの紋を付けれるとの事です。

浄国寺04

もう一つ気になったのが、本堂の横に吊られている駕籠です。
江戸時代に山の辺の道にあって廃仏毀釈の影響で廃寺になった永久寺に行くときに
住職が乗ったのではないかとの事です。
この浄国寺山門の前の東西の道を真っ直ぐに東に登ると永久寺に、たどり着く
との事です。(相当の賑わいがあって永久寺まで石畳の道だったようです)
(ネットでは、駕籠は内山永久寺の山主の乗った駕籠とのこと)

浄国寺07

住職によると永久寺は大和では、元興寺に次ぎ大きなお寺だったそうで
東大寺などは足元にも及ばなかったとか、、、(西の日光と言われていたそうです)
なお、山門は明治初期に永久寺より移されたそうです。
(永久寺が廃寺になったときに貴重な仏像が大量に勝手に持ち出され、海外に
流出したりしたそうです。)

浄国寺01

永久寺は、そのようなお寺ですから大和郡山の城主は良く通ったそうで、
この浄国寺で休憩して身なりを整えてから永久寺に向かったそうです。
大和郡山城と言えば柳沢家。柳沢吉保の長男である柳沢吉里が入城してから
大和国の中心として繫栄し、明治維新まで六代、藩政を担いました。

浄国寺02

本堂に掛けられている「浄国寺」の寺号額は柳沢五代藩主の字だそうで
さらに境内には天正5年(1577)の隔夜僧結願の名号碑があります。

浄国寺05

隔夜僧とは長谷寺と奈良を往還する僧のことで今日は奈良、翌日は長谷寺と
念仏を唱えながら歩くことで、1000日や1500日が満願だったようです。
石碑は上ツ道(伊勢本街道)にあちこちにありましたが、残っているのは
この浄国寺の碑だけだそうです。

なお、山の辺の道を歩いたときに廃寺になった内山永久寺の説明写真があるので
参考に掲載しました。

永久寺
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